阪神淡路大震災から今日で28年経ちました。

6400人以上の方々の命が失われた阪神淡路大震災から今日で28年。
私の実家は神戸市長田区、震災で1番被害の大きかった場所でした。当時私は小学1年生でした。
実家の店は全焼し多くのものを失いましたが、自分と家族の命は助かりました。
妻の叔父は、震災で倒れてきた本棚の間に生き埋めになり何時間も経ってから救出されましたが、隣にいた奥さんと生後6ヶ月の娘さんを亡くされました。
28年経っても悲しみは癒えるものではありません。
28年が経ち、防災減災の取り組みが進み『建物の耐震構造』はかなり重視され全国的に推進されてきました。しかし、実際に災害が起こったとき、助け合える社会であるかという『社会の耐震構造』はむしろ28年前より今の方が脆弱になっているように感じます。
私が28年前に被災した時は、「あの家はおばあちゃんのひとり暮らし」「あそこのおじいちゃんは足が悪い」というように近所のどこにどんな人が住んでいるかがわかっていて、住民同士での救助活動ができました。
阪神淡路大震災では、地震で倒壊した建物から救出され生き延びることができた人の約8割が、家族や近所の住民等によって救出されているという調査結果もあります。
今の地域社会はどうかと考えた時、心許ない気がします。コロナ禍の影響で地域行事や防災訓練が十分に行えていないところも多いはずです。
地域行事の大切さ、防災訓練の重要性を近頃は今まで以上に強く感じます。
行政は、地域のつながりを作るサポートを行い、災害時に迅速に助け合える土壌をつくっていかなければなりません。
市民の方々は、普段から地域や家族との関わり合いを持ち、いざという時にどう行動するかイメージしておくことが必要です。
災害は起きてからでは遅いのです。
昨年、私は防災士の試験に合格しましたが、今まで以上に京都市に対し防災への取組み強化を強く求めて参る所存です。
皆さんもどうか万が一の事態に備えて、備蓄品の補充、ご家族・ご親戚との連絡手段の確認など、ぜひ今一度今日という日に考えてみて頂ければ幸いです。
最後になりましたが、阪神淡路大震災で犠牲になられた全ての方々に心からの哀悼の意を表します。
(毎年のように添付しておりますが、添付している写真は火災時の私の両親の店と焼失後です。当時多くのニュースで流れていたようです。)