政策

なぜ政治家を目指すのか

~私、神谷しゅうへいが決意した理由~

1995年1月17日阪神淡路大震災に被災。自宅が全焼しました。思い出や大切にしていたものを一瞬にしてすべて失いました。

昨日まで当たり前のようにあった景色が一瞬にして焼野原に変わった姿をみて、子供ながら、言葉を失うほどのショックを受けました。

その時の経験から、「一度失われたものはもう戻ってこない。」ということを強く痛感し、日々のすべての事柄について今までよりも大切にしなければいけないという思いが強くなりました。この時の気持ちが、文化財の修復という仕事を選び、京都の文化や伝統を未来に遺したいという思いに繋がっています。

京都の文化と伝統は、長い年月をかけて現在まで継承されてきました。これは先人たちがたゆまぬ努力をし、命懸けで守ってきた結果です。移り変わり、失われていくものの多いこの時代に、確かに遺したいものが、ここ京都にはたくさんあります。世界に誇れる文化財の数々もその一つです。私たちは、先人たちが遺してくれた大切なものを、未来に遺していかなければなりません。

今、京都には多くの観光客が訪れています。その影で文化財がどんどん朽ちていくことはあまり知られていません。京都の伝統技術や文化も同様です。後継者不足と予算不足が原因です。技術が発達し、いくら精巧な安いレプリカが作られようとも、しょせんコピーはコピーでしかありません。京都には、「ほんまもん」があり、市民はそれをずっと継承してきました。それらが今、まさに失われつつあるのです。

政治も同じです。利益を出すにはこうすれば良いとか、一部の人達だけが得をするといった目先の考えで税金を使い、さらに借金をするといった、今さえ良ければ良いという考え方ではダメなのです。未来のことを考え、京都の未来のために本当に必要なことなのか、ということを真剣に考え実行に移していかなければなりません。今だけで良いのか未来のことを考えるのか、選択の時なのです。それができる、「ほんまもん」の政党が必要であり、それが京都党であると私は確信しています。

「現場でひとつひとつの文化財を修復しているだけではなく、今さえ良ければ良いというこの現状を直さなければ、文化のみならず、京都の未来はない!」その思いを胸に、私は立ち上がる決意をしました。

私は、文化財修復師として、子どもを持つ親として、京都市民のみなさまと一緒に、京都の未来のために、古き良き京都を守り、遺し、紡いでいきます。

私たちは、未来にツケをのこすのではなく、京都の誇るべき「ほんまもん」を未来へ遺していかなければなりません。そのために、私は全力を尽くします。

すべては京都の未来のために。

神谷 修平