あの日から25年。

 

阪神淡路大震災から今日で25年。

あれから四半世紀の月日が流れたにも関わらず、私にはつい最近のことのように思い出されます。

私の実家は神戸市長田区、震災で1番被害の大きかった場所。
1枚目の写真、右奥で火が燃え上がっているのが私の実家です。当時ニュース映像でよく使用されました。
2枚目は燃え尽きて何もなくなった家の跡地。

多くのものを失いましたが、自分と家族の命だけは残りました。

妻の叔父は、震災で倒れてきた本棚の間に生き埋めになり何時間も経ってから救出されましたが、隣にいたはずの奥さんと生後6ヶ月の娘さんを亡くされました。

25年経っても、悲しみは癒えるものではありません。

25年が経ち、『建物の耐震構造』はだいぶ重視されるようになってきました。しかし、実際に災害が襲ってきたときに助け合える社会であるかどうか。そういった面での『社会の耐震構造』というべきものはむしろ25年前より、今の方が脆弱になっているように思えます。

私が25年前に被災した時は、近所のどこに誰が住んでいるのか、「あの家はおばあちゃんのひとり暮らしやから」「あそこのおじいちゃん足が悪かったで」というのがわかっていて、住民同士での救助活動ができました。
今はそれができるか?というと心許ない気がします。
地域や家族の繋がりが薄くなっている〝無縁社会“ 。これが災害時には大変な弊害となります。

行政ができることは、高齢者や障害があるなど自力で逃げることが困難な方を事前に把握し、平常時から地域の皆さんに把握していただき、災害時に迅速に助け合える土壌を作っておくこと。

地域社会ができることは、普段から地域や家族との関わり合いを持ち、いざという時にどう行動するかイメージしておくこと。

災害なんて「きっと起きない」ではなく、
「起きるかもしれない」。
なによりも、その意識を強く持つこと。
阪神淡路大震災は毎年、きょう、この日にそのことを思い出させてくれる。
私はそう思っています。